性感を行っているときに、フェザータッチのような、こそばい手技を繰り返していくと、ある時から、こそばさから快楽に変化していく場合があります。
最初のタッチが、こそばいと思っていればいるほど、快楽に変わる度合いというのが大きいような気がします。
しかしですが、あまりにも、こそばがり屋さんの場合は、これが逆効果となってしまい感じることができず、ただただ、こそばかっただけの性感となってしまう場合もありますので、その時には、フェザータッチなどをいっさいしない施術を行うことも可能ですが、やや満足度は低いような気がします。
さらにいえばですが、まったく、こそばいと思わない方も、やや快楽度が低くなるような気がするので、その場合には、できるだけその方の、こそばいところを探しては性感の施術を行う場合もありますね。
何となくですが、極度の不感症の方の場合におきましては、体がこそばいと感じないということが多いような気がします。その逆に、感じる方というのは、こそばがりという場合が多いような気がしますね。
でも、こそばい箇所って、性感帯の場合が多いと思いますね。
特に脇から横腹あたりなんかは大抵の方には、こそばいと思いますので、ある程度、感じてきたときに、その個所をさっと指の腹でフェザータッチすると、悶えたりするので、いいのではないのかと思います。
少し話は変わりますが、整体やマッサージが上手い人が施術を行うときに、時々、ちょっとだけ痛い手技というのをあえて行うんですね。そうすることによって、リズムが生まれると思うんです。
たとえば、音楽でワルツのリズムというのは「強・弱・弱」の繰り返しなんですけど、これが、もし「弱・弱・弱」の繰り返しだったら、つまらないし、そもそも音楽として成り立たないと思うんですね。
痛いだけの整体というのは論外ですが、少しの痛さも感じさせない整体というのは、つまらないと思うんですね。
だから、上手い整体師というのは、たぶん「強・弱・弱」といったリズムを意識的に、もしくは無意識的にも、もっていると思うんです。
整体でいう「痛(いた)気持ちいい」というのは、性感のときにいえば、「こそば気持ちいい」というのかなって思うんです。
性感を行っていて、このこそばさのバランスが上手くいくと、あるときから、「うわあああ」という快楽の反応に変わる時がありますね。
あと、恥ずかしさというのも、上手く利用すれば、それは、快楽に変化する場合がありますね。
とっても、急にこそばがさせたり、恥ずかしい思いをさせても、冷めてしまうだけなので、徐々に徐々に、誘導していく必要があると思います。